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(7)奉納する場所
神楽殿をそのまま上演舞台として使用する。地上に下りることがないのは、舞の格式を示すものとして意識されているようである。
(8)保存会
保存会は太々神楽と共通で、松谷神社師子太々神楽会と称せられる。
松谷神社においてはいつの頃からか師子という文字を使用し、獅子とは書かない習慣である。
ちなみに、中国古代の辞書の説文解字には、まだ獅という文字は収録させておらず漢書の西域伝にも「師子や犀牛がいる」と書かれ、漢訳法華経などにも師子の例はいくつも出てくるが、獅子の例は一つもない。ことに仏典の師子は、ほとんど仏・菩薩の譬喩として用いられているもので、松谷神社の氏子がこの文字使用に固執し、これに誇りを持っているのは、理由のないことではない。
第3 岩島の麻づくり
1 岩島の麻
現在、岩島麻の栽培が行なわれているのは吾妻町三島の唐堀地区のみである。この町は昭和30年に原町・岩島村・太田村・坂上村が合併して出来た町で現在の農家数は約1,000戸である。
岩島地区(田岩島村)は標高360メートルから1,340メートル、約千メートルの高低差を持つ典型的な山間地である。耕地は800メートル以下で、大部分は400〜600メートルの範囲に分布している。
岩島の麻がいつ頃から栽培されていたかはわからないが、絹布は高価で庶民の常用にはなりにくく、江戸時代初期には木綿もまだなかったから、一般に布といえば麻の類であった。しかも上毛野(かみつけの)は麻の産地として知られていたから、毎年多量の麻布が租税の一種として都に運ばれていたであろう。
古代から伝えられてきた麻の里の誇り、その灯をたやさず、いつまでも伝えて欲しいものである。
2 岩島の麻保存会
全国に優良品質の麻の産地として名声をはせた岩島の麻も化学繊維におされ、消滅の危機が訪れた。このため貴重な生産技術を後世に残す目的で海野恭斎が発起人
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